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「ウィザーズクライマー」のレビューなの
- 2013/06/13(木) 01:49:52
本日レビューを書かせていただくエロゲは「ウィザーズクライマー Wizard's Climber」です!
画像!!!
あらすじ!!!
舞台は中世ファンタジー。魔法使いの主人公は家督を継げない少女セリスに出会う。魔力を過剰に溜め込んでしまう体質で吐き出すために女を必要とする主人公は、代価として身体を捧げることを条件にセリスを弟子入りさせ、魔力を与え、魔法の知識と技術を叩き込んでいく。互いの利害の為、一流の魔法使いになる事を目指す。
どんな作品だって何かを訴えかけている。
あのゲームもそう、そのゲームだってそう。
もちろんこの作品だってそうだ。
駄作だろうとも、酷評をしようとも、それをプレイした時点で何かしらを受信していることに他ならない。
作品をプレイするという行為は、「影響を受ける」という意味と同じと言ってもいい。
きっとその物語やメッセージなどは、プレイヤーの記憶の片隅に残り続け、普段の生活の中の何気ない行動を左右しているのかもしれない。
そう考えると、どんな作品に出会ったとしても、無駄ではないような気がしてくる。
次の作品に影響を受けたい衝動に襲われる。
こう考えるようになった原因も、何かから与えられた影響かもしれない。
与えられた影響が、新たな影響を呼ぶ。
そしてまた新たな1つの作品が僕に影響を与えに来た。
小学校に入学してピカピカの一年生達は横一列にスタートラインに並び、授業開始のチャイムがスターターピストルのように、一斉に勉学の道を走り始める。
漢字を習う。
計算問題を習う。
もうこの時点で勉強の出来る人と出来ない人との大きな差が生まれていた気がする。
僕は不思議に思った。
そんなわけない。
一斉にスタートして間もなくこんなに差が生まれるだろうか。
そんな小学校一年生からの疑問に答えを提示してくれたのがこの作品だ。
ヒロインを育成してクデュール魔法大会で優勝するのが目的なのだが、初回プレイではクリア出来ない。
そこまで強くならないからだ。
だけど引継ぎプレイというものが可能で、1周目の育成データをある程度引き継いで最初からプレイ出来る。
結局僕は4周目でクデュール魔法大会で優勝することが出来た。
これを人生に当てはめて考えてみる。
そうすると一年生のスタートラインは歪んでいたように思える。
クラスの優等生は引継ぎプレイ4周目とかだったのでしょう。
僕はどれくらいの経験値を引き継いだのだろうか。
僕は今回でクデュール魔法大会で優勝出来るのだろうか。
人によってスタート位置が違うのは理不尽かもしれない。
でも逆に考えれば、稼いだ経験値は無駄にはならない。
よくある「夢は絶対叶う!」なんて言葉は好きになれないけど、間違いじゃないかもしれない。
このゲームの特徴として、周回の数は人それぞれ違えども、誰もがクリア出来るんです。
「だから貴方にとってのクデュール魔法大会で優勝しなさい」
「もしダメでも絶望するな。次のあなたが頑張るよ」というメッセージが込められているような気がした。
素晴らしい作品だと思いました。
プレイヤーとは泥棒とイコールかもしれない。
相手の世界に忍び込んで、そこから好き勝手にいろんなものを盗む。
ただ普通の泥棒と違うところがある。
それは相手が持っていない物も盗めるところだ。
相手が意図的に作り出したもの以外でも、プレイヤーはそうなんだと理解する。
これはないものを新たに生み出していることになる。
そうなればもう泥棒と呼称するのは相応しくなくなる。
プレイヤーはクリエイターでもある。
もし、僕がこの作品から感じ取ったメッセージ性は僕の勘違いだったとする。
しかしそれは虚像ではなく実像だ。
レビューなんて物は泥棒の自慢大会かもしれない。
だからかな、「○○ちゃんマジ可愛い!」とかだけの感想は書きたくないのは。
小銭を盗んで威張る泥棒なんていないからね。
これからも高価なものを盗んだり作ったりしていこう。
そんな僕は大風呂敷が似合う泥棒。
以上
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